エンさんNote

テレワークとFIREの間で天涯孤独のアラフィフおじさんが日々考えた事や勉強した事を書きます

自死は病死

三浦春馬さんの死に寄せて

自死は病気」
とある方の言葉なのですが、私もその通りだと思います。

自らを殺めてしまう心理状態、
これは心の病です。従って自死は病死です。

そうとでも考えないと、残された人たちがいたたまれない
と言う意味もあります。

自死により残された人たちを「サバイバー」と呼ぶそうです。
確かにその辛い経験を抱えながら生きる事はサバイブです。

そのサバイブするためにも、自死は病気であると言う認識が必要なのです。

死にまつわるセレモニー、いわゆる法事は
一見すると故人に向けられたものですが、
実はサバイバーのためにあるとつくづく感じます。

故人のためにできる事なんて、本当は何も無いのかもしれません。

ただ、それらのセレモニーを通じて亡くなった方に対して
何かをしていると言う感覚が、
残された人たちの心を落ち着かせてくれるのです。

なので今日も、故人に何かが届きますように、
そんな気持ちで祈り続けます。
祈りは辛い経験を現実に馴染ませてもくれます。

いまは写真だけでなく、動画や音声もたくさん残せます。
それらに触れると、良い思い出だけでなく、辛い気持ちも蘇ります。

そんな時はなるべく良い思い出だけに着目して、故人を忍びましょう。
サバイブにはそれが重要です。

自死を考える事は肯定されるべき事ではありません。
これから自死を考えてる人に接すれば、もちろん止めます。
止めなければいけません。

ただし、自死を敢行してしまった人に対しては、
その意思(例え病気だったとしても)を尊重して、
ただ、ひたすらに祈り弔うフェーズに移らなくてはなりません。

それは故人のためであると同時に、自分のためでもあるのです。

家族や友人、好きな著名人などを自死で失って辛い人には、
まず故人の意思を尊重する努力をして欲しいと思います。

そして、決して自分を責めたりたりしないで下さい。

もし、仮にその自死を止めることに運良く成功できたとしても、
24時間監視するわけには行きません。

あの時こうしていれば、ああしていれば、そんな自責の念が起きた時は、

あの時止められたとしても、次は無理かもしれない。
次も止められたとしても、その次は無理かもしれない。

こんな風に考えてみて下さい。

自死を敢行してしまえる人は、何かを持っています。
それは他者が阻止できるような物ではないのだと思います。

家族や友人の自死を目の当たりにして、自責の念で辛い時は
そんな風に考えて見て欲しいと思います。

そして、著名人の自死で悲しみにくれる方は、
病気である事も含めて故人の意思を尊重してあげて下さい。
今日までに分け与えてもらったたくさんの思い出を胸に祈りましょう。

その時、故人はあなたの側にスッと寄り添ってくれます。
今度は逆にあなたの心を支えてくれます。
心の中で生き続けるとは、こういう事なのだと思います。

目に見えない世界にいる人たちに思いを馳せ、
支えてもらっている事を忘れないようにしながら、
辛いことばかりが起きるこの世の中を、これからもサバイブしていきましょう。